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ピアニスト「クン・ウー・パイク」古典派独占インタビュー

古典派独占インタビュー

小雨降る春分の日の朝、都内某ホテルにて韓国のピアニスト、クン=ウー・パイクさんにお話を伺ってまいりました。取材を行ったスウィートには、関係者の方々に混じってパイクさんと奥様が笑顔でお出迎え下さり、緊張も和らぎました。ゆっくりとそして丁寧にお話されるパイクさんからは温厚なお人柄がにじみ出ておりました。

Q)パイクさんは8歳からピアノを始めてらっしゃいますが、その最初のきっかけをお聞かせ頂けますでしょうか。
ティル・パイクさんインタビュー

【パイク】私の母親が教会でオルガニストをしておりましたし自宅ではピアノも教えていました。また父親も趣味ですけれどもヴァイオリンをやっておりましたので、家庭内で音楽に接する機会も多く次第に興味をもつようになりました。

Q)最初の先生はお母さんだったのですね。初めて弾けたときの事は覚えてらっしゃいますか?
【パイク】 特にどの曲をと言うのは覚えてないのですけれど、あの頃のことは覚えています。ピアノを弾く時は最初バイエルから習得するのですが、母は、忙しくて、他の子にばかり一生懸命教えて私にはあまり教えてくれませんでした。私は他の子がバイエルをやっているのを見て、レッスン終わってから独りで真似てよく練習していました。幼いながらにも他の子に負けたくないという嫉妬みたいなものがあったと思います。
Q)その後15歳でニューヨークに渡ってらっしゃいますが、この時は単身で渡られたのですか?
【パイク】 実はある国際コンクールの韓国代表として私が選ばれたのがニューヨークに行くきっかけでした。当時まだ子供でしたので父とニューヨークに渡りました。そのコンクールでは特別賞を頂いたのですが、主催側からこのままニューヨークに残ってもっと勉強してはどうかと勧められたのです。奨学金なども得られましたので、そのまま滞在し勉強を続けることにしました。父は一ヶ月ほどで韓国に戻りました。
_わずか7年間で、目覚しい飛躍を遂げられたのですね。
【パイク】 当時の私にそこまでの実力があったかどうかは判らないのですが、少なくとも私に才能があると見込まれたので選んでくださったのだと思います。ニューヨークでは、ジュリアード音楽院に学んだのですが、そこでロジーナ・レヴィーンさんという素晴らしい先生に教わることが出来ました。奨学金を推薦してくださったのもレヴィーン先生です。子供は教えないというレヴィーン先生でしたが、初めて私にレッスンをしてくださいました。
Q)パイクさんは、ニューヨークへ渡るときにプロのピアニストになろうと決意されていたのですか?
【パイク】 当時まだ幼かったこともありますので、プロのピアニストになろうと考えることはなかなか難しい状況にありました。慣れない外国での留学生活は不安もありましたし、韓国の経済状況も今ほど良くはありませんでしたので、プロとして自立するには困難な問題も多く感じられ相当悩みました。私には本当に才能があるのだろうかとか、このまま続けてよいものかとか、幾度も自問しました。それでも続けられたのは、やはりピアノに対する愛情が人一倍強かったからだと思います。実際にピアニストを決意したのは二十歳ぐらいの時だったと思います。
Q)多感な時代、ピアノを続ける上で不安もおありだったと存じますが。
【パイク】 文化的に異なる西洋の音楽を、東洋人である私が演奏して、果たしてそれが通用するのかどうかなどでもかなり悩みました、このような不安材料を十代で消化することはとても難しいことですが、この時期、美術や写真、映画といった他のさまざまな文化にも興味が湧き、数多く積極的に接しました。そのことが後になって自分の糧となったように思います。ピアニストを決意するまでに5年ほどかかりましたが、今申し上げたようないろいろな悩みを消化するのに必要な期間であったような気がいたします。私の経験から、広い範囲で趣味や興味を持つということはとても大切だと言うことを、若い世代の方にお伝えしたいです。
Q)パイクさんと同じようにロジーナ・レヴィーンさんに師事をしたピアニスト中村紘子さんはその著書で、留学時代にピアノ奏法を一からやり直しさせられたと書かれておりますが、レッスンは相当厳しいものだったのですか?
【パイク】素晴らしい先生であれば「厳しさ」は当然のことだと思っています。ピアノ奏法を一からやり直すと言うのは、一見途方もないような印象を受けるかもしれませんが実はそれが一番早い道ではないかと思います。レヴィーン先生の教え方はとても柔軟で、自然と音楽に導いて下さるような感じでした。
Q)レヴィーンさんから得たもので一番大きなものはなんでしょうか。
ロジーナ・レヴィーン
【パイク】レヴィーン先生は、私に、ただピアノの技術を教えると言うのではなく同時に人間として成長していくことにも気配りしてくださいました。レッスンを始める前にはまず会話をし、悩みや、心の状況はどうかなど、音楽以外にも気に留めて頂いていました。まるで家族のように接してくださった先生です。ピアノもしくは音楽と、生き方、人生というものを別として考えるのではなく、総合して教えてくださったことが私にとって一番大きな収穫でした。
Q)パイクさんは、ロシア物の大曲をレパートリーとしてたくさんこなされてらっしゃいますが、ロシア出身のレヴィーンさんからの影響によるところが大きいのでしょうか。
【パイク】 そうですね、でもレヴィーン先生の影響と言うよりも、ジュリアード音楽院で学び始めた時、韓国人としての私が、いろいろな音楽に接する中でもっとも親しみを感じた音楽というのが、ドイツとかフランスとかではなくロシアの音楽であったことが大きいと思います。私はその時その時に、自分が必要としている音楽を探すのですけれど、その時はロシア音楽だったのです。韓国や日本、中国の方で好きな作曲家となりますと、チャイコフスキーやラフマニノフと言った名前がでてきますが、これはおそらく彼らの音楽のなかに、何か東洋的なものを秘めていて、それが親しみを感じさせる要因になっているのではないかと考えています。またロシアの人が冗談で「人口の半分以上は実は東洋人だ」と言うのを耳にしたことがあります。これはロシアの人たちの間でも自分たちの身体の中に東洋的な要素があることを認めているのできっとそういうふうに言うのだと思います。韓国人の私にとってロシアの音楽がとても近い存在に感じられるので、そういったところに影響されていると思います。
Q)パイクさんは、その後ブゾーニのコンクールに出場されたり、ブゾーニの珍しい協奏曲をアジアで初演されたりしてらっしゃいますが、これはイタリアでグイド・アゴスティさんに師事されたことと深く関連があるのでしょうか。
【パイク】そうです。その影響はとても大きいと思います。アゴスティ先生はブゾーニの弟子であり、先生自身ブゾーニを神様のように考えてらっしゃいました。私が初めてヨーロッパに行ったときに先生の噂を伺いまして直接自分のほうから訪ねていきました。そして実際彼のクラスを見て感銘を受け、個人的に何度かお会いもし、またレッスンも受けました。短い期間ではありましたが、私にとってとても大きい出来事でした。これまでいろんな先生方から学び都度それぞれに違う影響を与えてくださったのですがアゴスティ先生はその中でもひときわ大きい影響を与えてくださったのです。音楽はもとより芸術に携わる人間にとって最も重要な「ファンタジー」を見せると言うことを教わりました。ただ曲を弾くのではなく自分の中で「ファンタジー」を創造するということです。それはおのずと音楽の世界というのが無限であることを示してくださいましたし、それをみせてくれたのがアゴスティ先生なのです。
Q)長い音楽生活の中で指揮や作曲をしてみたいと思われたことはありましたでしょうか。
【パイク】そうですね、まず作曲に関しましては誰でも出来るものではないと思っています。特に我々のように偉大な作曲家の曲を演奏する立場にありますと、仮に自分で曲を創ったとしましても、どうしてもそれを偉大な作曲家の曲と比較してしまいます。それより優れたものを創ることはとても難しいことです。私は知り合いから次のような話を聴いた事があります。ある若い作曲家が自分の先生に「私は作曲家になれると思いますか?」と自作を持ち込んで聞いたらしいのです。するとその先生はその作品を見ようともせず「君には無理だ」と即答したのです。なぜなら本当に作曲をする人間と言うのは、誰がなんと言おうと曲を書かなければならないものなのです。それを人に尋ねてくると言うのは、もうそこからだめだと言うのです。とても印象深い話です。それら考えましても、実際今の私には作曲は難しいのではないかと思っています。あと指揮のことですけれども、確かに今多くのピアニストが指揮もやっています。しかしそれは持って生まれた性格であったり、才能に適性がなければ難しいと思っています。演奏しながら指揮をするということは、演奏しながらすべてをコントロールするということですので私からしてみれば完成度の点で難しいと思っています。個人的にはあまり好みません。 それと、もっとも大事な理由として、ピアノのレパートリーを演奏するだけでも奥の深い世界であり、 私は人生の時間を短いと感じていますので指揮まではとても手が回らないのです。ですので、私はピアノを誰かに教えると言ったことも今はしていません。
Q)今回ベートーヴェンのソナタ作品を日本で披露されますが、パイクさんの考えるベートーヴェンのソナタの魅力はどういったところにありますでしょうか。
【パイク】ベートーヴェンのピアノ・ソナタはこれまでも多くの人々を魅了してきた素晴らしい音楽でありますので、あらためて重要性に関し話すまでもありませんが、今回私がベートーヴェンのソナタをとりあげて思ったことは、この作品は私にとっての「音楽」を象徴するものではないかと考えたことです。もし死ぬまでこの作品だけを演奏するということになっても私は幸せを感じることができると思います。私にとってベートーヴェンのピアノ・ソナタとは、そのような作品なのです。
Q)最後になりますが、パイクさんにとって幸せとはなんですか?
【パイク】自分の今の生活そのものです。とても感謝しております。

~今日はお忙しい中、貴重な時間を頂き、そしてまたいろいろお話くださいましてありがとう御座いました。~

◆インタビュー後記

限られた時間ではありましたが、よいお話をたくさん伺えて甲斐がありました。4月には来日公演がひかえておりますが、誠実なパイクさんの演奏が実演に接する日本の愛好家に正しく理解され評価されることに私は大きな期待を寄せております。本日はお忙しい中、貴重な時間を割いて頂き、誠にありがとうございました。
【古典派.com: インタビュアー大澤】

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プロフィール

クン・ウー・パイク(白建宇)(ピアノ)


クン・ウー・パイクさん

クン・ウー・パイクは1946年ソウル生まれ。
主に両親から音楽の手ほどきを受け、10歳でグリーグのピアノ協奏曲をオーケストラと共演、ムソルグスキー「展覧会の絵」やラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲ほか韓国初演を行った。
15歳で渡米、ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに、ロンドンでイローナ・カボシュ、イタリアでグイド・アゴスティとヴィルヘルム・ケンプに師事した。1969年にブゾーニ国際ピアノコンクールで金メダル受賞、1971年にはナウムバーグ・ピアノコンペティションで優勝、ラヴェルのピアノ独奏曲全曲演奏リサイタルでアメリカ・デビューを飾った。1974年にはロンドンのウィグモア・ホールで3晩連続のリサイタルを行い、ヨーロッパ・デビューを果たした。
録音は10以上のレーベルで行っているが2000年以降はデッカから継続的にリリースされている。レパートリーはバロック音楽から現代曲まで、名曲から演奏頻度のごく少ない作品まで極めて幅広く、2000年にはソウルでブゾーニのピアノ協奏曲のアジア初演を行い、2007年には台北で中国初演を果たした。またペンデレツキのピアノ協奏曲のスペイン初演(2004年)と韓国初演(2006年)を作曲者の指揮で行った。 日本には2001年に初来日。2000年にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受勲。現在は主にパリに在住、超人的な演奏能力を備えた世界屈指の名ピアニストとして活発な活動を続けている。夫人は韓国映画の黄金時代を代表する映画女優の一人、尹静姫(ユン・ジョンヒ)女史である。
◆公演日:2009年4月3日(金)東京・紀尾井ホール
◆公演日:2009年4月6日(月)東京・紀尾井ホール
◆公演日:2009年4月8日(水)大阪・いずみホール
◆公演日:2009年4月10日(金)大阪・いずみホール
 お問い合わせ:読売新聞東京本社文化事業部 03-3561-6346

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ディスコグラフィー

▼ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ全集

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集

ピアノ音楽の「新約聖書」とも呼ばれるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を、3年かけ体系的に取組んだ修練の結晶とも言うべき名録音。磨きぬかれた演奏技術と深みある音楽性、ベートーヴェンの魅力を余すところなく引き出した名演奏。

▼ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ「悲愴」「月光」「熱情」

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ「悲愴」「月光」「熱情」

全集から有名な3つのソナタを抽出したアルバム。豊かに歌われる旋律と疾走するアレグロ、抒情と激情の明快な対照が鮮烈な印象を植え付ける傑出したベートーヴェン演奏。

▼ベートーヴェン
中期ピアノ・ソナタ集

ベートーヴェン中期ピアノ・ソナタ集

レコ芸で特選を得るなど、高い評価を得た名盤。充実した技量でベートーヴェンの世界を描いています。

・・・ 巨匠パイクの初映像作品。ほとばしる細やかな感性と、堅実な技巧と着実な表現が随所に観られるいぶし銀の秀演。
・・・ロシアの巨匠フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団と入れた情熱的な力演。
・・・繊細で詩的なインスピレーション溢れる感性豊かな演奏。
・・・ブゾーニの弟子アゴスティの教えを受ける彼が、圧倒的説得力をもって弾ききるバッハの世界。
・・・協奏曲のほかに、ピアノと管弦楽のために書かれたレアな作品を収録した2枚組。
※各発売リスト中には、生産中止商品など入手の難しいものがございます。予めご了承ください。
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